一昨日のblogで書いた、一度死んだからこそ消えていないことに気付く、エロスのエナジーとしての蝋燭の種火。
タナトスとは、種火という存在だと、僕は今感じている。

この存在を知ったものは、聖火のように命の火を燃やし続ける事が出来る。
それこそが臨死体験であろう。
死の縁から生還したものは、強い。
死んでもエロスのエナジーは消えていないと知ったのだから、怖いと言う観念、不安という観念はゼロになる。

薪ストーブで、朝種火が残っているのを見つけたのにそっくりである。
燃えやすい焚き付けで目覚めさせ、上に空気の通り道を確保して、薪を設置すれば、直ぐに大きな火に変わる。

だからタナトスは、ゼロではない。
停止していない。
音響装置で言えば、ポーズ。
何時でも種火がある。
だから【永久】の時がある。

後は息を吹き込むだけ。
それが呼吸だろうか。
だから吐くことが大事だ。
肚とつながるのは、吐くと言うときと、字が示してくれている。
吐くと、覆い被さっている灰を脱がせながら種火に風を送れる。
灰こそが死のイメージである。
灰かぶりの少女は、世界中の神話に出てくる。
料理を作る場に、エロスとタナトスが同時に存在している。
そこで仕事をしている灰かぶりの者には、霊界と繋がる力が宿っているという。

だから【タナトス 死】は、種火という人魂が灰を被って、生まれる出るときを待っている瞬間でしかない。
【流れるもののなかに間を発見していく】此れが【舞】の醍醐味だと僕は思っている。
この家の前を流れる水の音が途切れても、水の動きは何処か見えないところで流れている。
大気に蒸発しても重力で持ちこたえらなくなると、天にあがった水は大地に還される。
その存在する位置の変換の瞬間が【間】である。
間は聞くしかない。
間を見ることは出来ない。

そこで僕は圧倒的な予測不可能であった、3.11に想いをはせたいのです。
以前から言っているように、地球さんに間借りしているだけ。
ならば地球さんから頂く恩恵も、一瞬の地球さんのクシャミであれだけの惨事が起きることも、どちらも受け入れるしかない。
けれども、僕らは選べると思っている。
思い上がりも甚だしい。

言葉も舞も音楽もあの状況を言い当てることを、実は一つも持ちああせていなかったんと、アートたるものが持っている今の限界を、アーテイストが認める、アーテイストの死からしか、実は明日は始まらないのではないかと感じているのです。
僕は、あのとき、生まれ育った漁師町の北海道稚内に重ね合わせて、映像を見ていた。
稚内のオホーツクの冬の海は、恐ろしいほどの海なりとシケで何時も海岸沿いに車の何倍もの高さの波が打ち付けていた。
中学生の自分でも、足すくわれたら大変だと、怖さを何時も感じていた。
と同時に流氷の向こうに昇る朝日の美しさに何時もなだめられていた。
晴れる日の割合が10パーセントという稚内では人は結構暗い。
暗くして、身構えていないと、越えられない今日が積み重なって1年が過ぎる。
けれども、僕は今でも稚内と利尻礼文が大好きで、暮らせれるものなら暮らしてみたい唯一の地である。
きっと冬の厳しい離島に閉じ籠るには、この山形の暮らしなど、楽で楽でにならないと、越せないであろう。
けれども、ひかれる。もう北方海洋民族の血は、消えようがないのである。

その僕には、あの津波の映像は、見えない撮さないところまで容易に想像できた。
稚内から、とっても美しく利尻が見える、坂ノ下という場所がある。
シケが通りすぎた翌日、恐ろしいほどのゴミや魚の死骸が打ち上げられる。
岩手福島では相当数の原型が損傷した、死体がどれ程の数と風景で、浜辺に打ち上げられていたのか、心では見えていたのです。
だから同時に、僕の稚内もその時に無くなったのです。
一番好きで、けれども、目の奥の暗さに耐えられなく、いつかここから出て這い上がって見せると敵対した漁師町。
遠洋漁業の仕事で暮らしている家庭の友達も多く、拿捕されたり、難破して死んだりと聞くことも日常的だった。
そんな時、商売をやっている家系が恥ずかしくて仕方がなかった。
何で僕は、ノホホーンとして生きてられる環境に生まれたのか。
父を遠洋漁業でなくし、真っ直ぐに生きるを見つめていた友達の目に嫉妬した。
恥ずかしくて、そんな家系全てをうらみ、それがエネルギーになってここまで生きてきた。
来れたと言うべきか。父を無くした友達の真っ直ぐに生きるだけを見ていた、あの目に少しでも近づきたい。
その思いが、自分をアーテイストだけの活動に座らせなかった。

あの時の生きること事態が、実は奇跡で危ういのだという、生きてることへの罪の意識が、結果自分を伏流水の活動に仕向けていった。
何時も怖いのも美しいのも僕の中では、水と大きく関わっているのだ。
一つの判断ミスが生死に関わる生き方を強く望んだ。
きっと無くなった友達の父を、自分の父側の漁師の殆ど喋らない祖父に重ね合わせて見ていたのかも知れない。
言葉そのものの中に潜む危うさと希望の狭間を見続けたい。
何故なら僕らは、3釻11を言い表す言葉を持っていなかったという事実。
それは【ありえないこと】なんて何一つこの世には存在していない。
もうありえないという前提での生き方や行動は勿論、言葉も文化も全てを一度手放して、全てがあり得るのだという土壌に、言葉を文化を生活を作り直していかなくてはならないときが来たのだと、思っているのです。
宇宙さんが作る時間軸と人間が作る時間軸は、いつ交差したっておかしくないのだって。



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